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「義侠」を醸す山忠本家酒造さん。

「義侠」という酒名の由来は、江戸時代中期から酒造りを行っていた山忠本家さん。

当時は小売店と蔵元は年間契約で商売を行っていました。
明治のある年、凶作でお米が高騰、本来ならば酒の価格も上げなくてはならなかったところ、採算を度外視して約束通りの価格を守ったという。
それに感激した小売店が義理と任侠に厚い蔵だ、と「義侠」という名前を贈ったという。

さて歴史は昭和50年代、現社長の山田明洋氏がそれまでの大手の下請けとしての酒造りを止め、自社ブランドだけで勝負していこうと決意、自分の信念に基づいた酒造りを始める。

「素材であるお米の味がしっかりと感じられる酒」

を目指して最高の原料米を求めて兵庫県東条町の特A地区の山田錦を手に入れることに成功する。 それ以来全国の酒好きの間でジワジワと人気を拡大していくことになる。

決して万人向きの酒ではない、「飲みやすくて日本酒じゃないみたい〜」なんて言葉は出てこない。 名前が表すように男らしくて骨太な酒だ。「俺はこんな酒が飲みたかった」、そんな言葉が出てくる。

さて出迎えてくれたのは山田昌弘さん(30歳)(2012年9月現在)。蔵に入って6年目、11代目の予定。

酒蔵の息子だからすんなりとこの道に入ったのかと思いきやそうではなかった。
家業を継げとも全く言われず育ち、大学に進学。
神学を学んでいた在学中に、「親父を越える人生を送りたい。酒蔵を継ぎたい」と決意、父親にそのことを告げると何と断られる。

それでも自分の熱意を伝えると条件付きで認められた。その条件というのが、誰もが知っている企業の内定を取る、というもの。
大企業に必要とされる人材でないとこれからの中小企業の社長は務まらない、というのがその意図だ。
確かにうなづける話であるが、当人にとってはなかなかのハードル。

それでも一生懸命に就職活動に励み見事内定を獲得、晴れて入社が許されることに。と思いきや外の世界も知らないといけない、出来るだけキツイ仕事をしてこいと和歌山のスーパーマーケットでの3年間の修行。
ようやく蔵に入ることを許されたのでした。

現在は冬は蔵にこもって酒造り、夏は特約店を回ったり、酒の会に呼ばれたりして全国を飛び回る。
6年目にしてやっと酒の話ができるようになった。今は酒造りが楽しくてしょうがない、という。

義侠・妙を飲んだときに「これは一生をかけて取り組むに値する仕事だ」と感動した。

酒造りは自分がこれから造りを30年やれるとして、30回しかない。それまでに最高の酒を生み出すことができるだろうか?
自分が造った酒で飲む人を感動させることができるだろうか?
そんな気持ちで仕事に取り組んでいるという。年下ながら尊敬してしまいます。
義侠には25年、30年ものの熟成酒がある。30年前の蔵人の仕事が今飲んだ人を感動させる。 自分の今の仕事が30年後、50年後の人に飲んでもらえるかもしれない。 熟成酒を通じて未来を感じられる、とも語ってくれた。

今期の造りが始まったばかりだという蔵も見せてもらった。

広い蔵には下請け時代に大量に造っていた時の設備が残っている。
しかし今は全く使っていない。ほとんどの行程が手造りだからだ。

職人の手によって造られた酒が感動を生むのだ。しかしそこには科学的な裏付けもある。 今年は偶然良い酒になった、ではいけない。

良い酒を毎年造り続けるために、気温、お米の状態などを全てデータとして記録している。 職人の勘だけに頼らない再現性のある酒造りを目指しているのだ。 去年の酒より良い酒を、と意気込んで進化を続けている。

この記事を書いていたら無性に義侠が飲みたくなった。
思わず棚に並んでいる酒を開けてしまった・・・心に染みる酒だ。

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